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「選択」

こんばんは。

 

唐突ではありますが、今回のタイトルは「選択」にしました。

そして何についての「選択」のことを書くのかというと、ずばり「人」です。

「人を選択する=選ぶ」ということについて書こうと思います。

 

私は、この上ないくらいに付き合う人を選びます(というより、いつの間にか選ぶようになってしまいました)。

その結果として「友達」と呼べる人は、昔よりも格段に少なくなったような気がします。

単純に嫌い、あるいは苦手な人は言うまでもなく、元々めちゃめちゃ仲が良かった人でも、面倒だと思えば付き合わなくなりました(面倒だと感じ、これ以上付き合うのはやめようと相手に対して思う機会は案外多くあります笑)。

周りは私の事をどう思っているのですかね…

おそらく何とも思われていないでしょうが。笑

 

友達って多い方が良いのでしょうか?

学問的には(社会学とか社会心理学とか?)、人間関係においては当たり前かも知れませんが多くのネットワークが張り巡らされている方が良いらしいです。

 

多い方が良いのか!?

確かに「友達が少ない」と言うよりは「友達が多い」と言う方が社会的には良いのかも知れません。

友達100人出来るかな~♪なんてかわいらしい歌もあったかと思いますが、私としては実際に友達が100人もいれば、相当面倒なのではないかと思いますが…

 

そもそも「友達」と言える基準って何なのでしょうか?

例えば、仮に私がAさんを「友達」だと思っていても、もしかしたらAさんは私を「ただの知り合い」としか思っていないかも知れません。

かと言ってAさんに「私たち友達だよね?」と尋ねるなんてことは憚られますし、そんな質問をする勇気が私にはありません。 

 

ただ私は、よほど恋愛的な意味合いで相手に好意を抱いていない限り、相手が私のことを「友達」とカテゴライズしていようと、「ただの知り合い」とカテゴライズしていようと、そこまで私に悪影響が及ぶことは無いのではないかと思います。

多くの場合、私が「友達」と思っている相手は私のことを「友達」と思っていますし、私が「ただの知り合い」と思っている相手は、私のことを「ただの知り合い」と思っています(確証はありませんが)。

 

そんな事を考え始めるとキリがありませんが、「友達とは何ぞや?」と考える事それ自体は、とても大切なことなのではないかと思います。

 

私の中で「友達とは○○である」と明確な答えを持っている訳ではありませんが、何となく思うことは、自分の「居場所」になってくれる存在の事を「友達」や「友人」と呼ぶのではないかという事です。

そして「居場所」とは、紛れもなくその当事者自身が居心地が良いと感じられる場所だと思います。

 

私は初めに『「友達」と呼べる人は、昔よりも格段に少なくなったような気がします。』と綴りましたが、前段の理論でいけば、私には『「居場所=居心地が良いと感じられる場所」が少ない』ということになります。

それを可哀想だとか、寂しそうだとか思う人もいるかとは思いますが、私は決してそうは思いません。

 

居心地が良いと感じられる場所なんて、1つあれば十分だと思っています。2つ以上あると感じるのであれば、それは非常に恵まれているのではないでしょうか?

それに、行く所全て居心地が良いと感じるなんていうのは、普通はあり得ませんし、もしそうであるのならば、その人の器がよほど立派か、例外的に本当にそうであるかのどちらかだと思います。

 

「人を選ぶ」という行為は、自分が幸せになる、少なくとも自分を不幸から遠ざけるための行為だと考えています。

そして「人を選ぶ」という行為の裏を返すと、私も「人」から選ばれているということになりますし、私がその「人」から選ばれたのであれば(もちろん私の方からお断りの場合もありますが笑)、その「人」のことを私は幸せにする、少なくとも不幸から遠ざける存在であらねばならないと思います。

 

そんな風に考えると、「友達が少ない」という悩みを抱えている人は、その「数少ない友達」のことを、その「数少ない友達」の友達よりも幸せにする、少なくとも不幸から遠ざけるよう

にすれば良いのだと思います。

そうして互いを幸せに出来るようになれば、人間関係のネットワークを下手に増やすよりも、よほど人としての円熟味が増すのではないでしょうか(若造が生意気を言ってすみません)。

もっとも「友達を増やしたい!」と思っているのであれば、頑張ってねとしか私は言えませんが。

 

こんな感じで、第3回目にしてかなり長くなりましたが、今回はこの辺りで。